
私の想い出
私が最初に海外に出たのは、昭和40年(1965年)の、当時日本ではなかった沖縄だ。
次は昭和42年(1967年)から2年間で世界75カ国を旅した。途中スウェーデン、パリ、ロンドン、アメリカでアルバイト、お金を作って世界を巡った。
昭和46年(1970年)から仕事としてアンティークのために海外に行っている。
50年にわたる商売の間に忘れられない想いでは数限りなくある。
何百回飛行機に乗ったか分からないが、事故もなく元気だ。
ただ一つだけ大きな考え違いは、世界中からこんなに早く「アンティーク」が姿を消すとは思っていなかったことだ。順次物が古くなるとはいえ、現代のプラスチック文明が骨董になるとは思えない。
だから古い物を気に入って買って頂いた時には「元気でがんばって!あと200年は生き残れよ!」と祈って手渡す、そんな毎日である。
岩崎紘昌
次は昭和42年(1967年)から2年間で世界75カ国を旅した。途中スウェーデン、パリ、ロンドン、アメリカでアルバイト、お金を作って世界を巡った。
昭和46年(1970年)から仕事としてアンティークのために海外に行っている。
50年にわたる商売の間に忘れられない想いでは数限りなくある。
何百回飛行機に乗ったか分からないが、事故もなく元気だ。
ただ一つだけ大きな考え違いは、世界中からこんなに早く「アンティーク」が姿を消すとは思っていなかったことだ。順次物が古くなるとはいえ、現代のプラスチック文明が骨董になるとは思えない。
だから古い物を気に入って買って頂いた時には「元気でがんばって!あと200年は生き残れよ!」と祈って手渡す、そんな毎日である。
岩崎紘昌
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